「司法試験合格者を1500人程度にまで見直す」というところにマスメディアは「既得権益」「ギルド」などと厳しい批判を向けていました。

では、10年あまりに渡る「司法改革」において倍増した弁護士人口により、「司法」の処理能力は増えたのでしょうか・・・?

残念ながらそうなっていません。

ざっくりと、裁判所に入る事件件数でいえば、平成21年をピークに、平成26年には約3分の2程度(これは民事事件、刑事事件、破産事件とも同水準。ただし家事事件は別)です。
もともと司法試験合格者の増員構想は、「法曹」を増員するというものであったはずで、弁護士だけを増やすというものではなかったはずです。

なのに、なぜか、弁護士だけが増えて、裁判官・検察官は増えていないのです。
参考までに、
http://blog.livedoor.jp/schulze/archives/52142652.html
をご覧ください。
裁判官数は、法科大学院制度が発足する前である58期をピークに、むしろ、司法試験合格者が増員された59期以降、減少に転じています。

弁護士だけ増えても、裁判官・検察官が増えないと、事件処理は進みません。聞くところによると、裁判員対象事件は、既に裁判所の処理能力を超えていて、全国で1000件ほどが未処理のまま、処理を待つ状態なのだそうです。

この時点で、増員論は既に意味を失ってしまっています。

そもそも、合格者増員論を唱える人は、何を目的にしているのでしょうか。

1 国民の司法アクセスの向上を図ること
2 合格者を増員し、自由競争にさらして、弁護士の質の向上を図ること

この二つの目的を唱える方が多いように思います。

しかし、1については、既に述べたように、弁護士だけ増やしても意味がないことは明白です。むしろ、経済的に汲々とした弁護士は、金にならない仕事を請けたがらなくなるでしょう。

もし司法アクセスの向上を言うのであれば、単純な増員論ではなく、金にならない仕事に対する補償策こそを考えるべきなのです。
足りないのは、人手ではなく、予算なのです。そこに増員論をぶつけても、上記1は改善されないと思います。

次に、2については、はたして本当にそう言えるかという疑問があります。

そもそも、弁護士の質が特に問題になり出したのは、この数年の話のように思います。
実は、合格者増員してからの話なのです。
(もちろん、増えた新合格者の質が悪いという意味ではありません。しかし、増員と質の問題については何らかの関係があるかもしれません。そもそも「質が悪い」という意見がナンセンスな可能性もあります)

そもそも、「競争」が美徳なのでしょうか?

かつて「価格破壊」と称してディスカウントストアが成長したとき、安い製品を作らねばと考えたメーカーは日本で生産していたのでは経済的に存立不可能になったため、生産設備を海外に移しました。その結果どうなったかは言うまでもありません。
しかも、弁護士はサービス業でありメーカーと違いますから、生産設備を海外に移してコストダウンを図ることはできません。

加えて、今は、ロースクール+(来年から)修習が無給(借金はさせてもらえる)となり、弁護士になるためのコストは上昇しています。

自由競争の前提としては、コストアップ要因でしかない法科大学院という、司法試験の受験資格制限が廃止されるのが合理的です。

あるいは、司法書士や行政書士を特認で弁護士に昇格させるとか、または、弁護士という資格制度そのものを廃止しないと筋が通りません。

増員論は、もともと「人が足りない、司法アクセスに支障がある、だから増員する」というところからスタートしたはずです。
それが、「自由競争させて淘汰させるための増員」という方向に話がズレてしまい、今では、増員論を肯定するためのいちばん耳障りのよい方便として用いられてるにすぎないように思います。

増員論者にお尋ねしたいのが
・誰のための増員なんですか。
・国民のためならば、増員が国民のためになるメカニズムを教えてください。
・「国民のため」が意味するところは、具体的に何ですか。
・ここにいう「国民」って誰ですか。

という点です。

なお、僕は、司法試験合格者増員に絶対反対するものではありません。
ただ、増員するのであれば、

・裁判官・検察官の大幅な増員
・様々な手続(相続など)への法曹有資格者の配置義務

などを検討するべきで、それができていない以上、需要が減ったんだから、供給を減らすのは当たり前というだけのことなのです。

需要がないとわかったのに(潜在的需要はあるのかもしれないが、前述のように、それは人を増やせば解決するという単純なものではない)、供給を減らすことがいけないことの理由を、教えてもらいたいものです。

エゴとかギルドとかいうのは完全に的外れです。