たまにはお堅い投稿を。と思います。

はじめに~テレビで見た中国のコロナウイルス騒動

今朝、TVを付けてみると、コロナウイルス騒動に関連して、こんなシーンが映されていました。
中国国内の感染対応について、警察なども動いて、人の集まる集会を制限している様子がTVで放映されていました。人の集まる雀荘に警察が乗り込んで雀卓をハンマーでぶっ壊すシーンとか、結婚式をやめろと説得するシーンとか。

これを、異常なシーンだなと思った人もいるかもしれません。
テレビは、これを単に面白おかしいシーンだとして抜いたのかもしれません。
 
しかしながら、日本でも、憲法改正案に含まれている「緊急事態条項」が導入されれば、こういうことが十分起きうるよなあ、と思いました。
 

テレビで抜かれた上記コロナウイルス騒動のシーンを憲法的に考えると

上記の中国当局の行為は、要するに、集会の自由に対する制約です。
 
集会の自由は、日本だと、憲法21条1項で保障されています。
現行憲法では、集会の自由は、一定の制約には服するものの、仮に「感染症のおそれがある場合には集会を禁止する」という法律を作った場合に、それが「一定の制約」の範囲に含まれるか?という問題があります。
この点、最判H7・3・7第3小法廷判決(いわゆる泉佐野市民会館事件)においては、「一定の制約」を画する基準として、利益衡量論をとりつつ、その基準として「明らかな差し迫った危険の発生の具体的な予見」(「明白かつ現在の危険」の予見と同旨と思われます)の存在を要求しています。
これは、「集会の自由」という基本的人権と、必要な制約の超微妙なバランスをとった結果です。
 
今、憲法改正の議論で提唱されている「緊急事態条項」が導入されれば、こうした、最高裁が「集会の自由」という基本的人権と、必要な制約の超微妙なバランスを考え抜いた判断枠組をあざ笑うかのように、それを乗り越えて、雀卓を叩き割るようなことが起きることが、当然に想定されます。
 
雀卓叩き割っても感染拡大の予防にならなくても、できちゃう(すくなくとも、一次的には。事後的には争えるかもしれないが、国家権力の横暴は予防できない)
 
そうなっていいのかどうか、ってことですよね。

「憲法改正」との関連について

 
私は憲法改正に、賛成しています。やはり時代の流れとともに、技術的にここは変えないと困る、というところが多いからです(31条以下の刑事手続に関するところもそうですし、21条にしても、インターネットという新たな通信手段を前提にした検討が必要だと思っていますし、私はセクショナリズムに陥りやすい都道府県制ではなく道州制の導入に賛成の立場なので、地方自治関連の規定も変えたほうがいいと思っていますし、さらには、財政に関する規律も考えなくてはならないと思っています)。
ところが、自民党の改憲案には、そういう、必要と思われるところはろくに変わっていないのに、緊急事態条項という、基本的人権を厳しく制約する恐れのある条項について、こういうことをちゃんと考えて議論していない点から、これとは「改憲論」として同列に見られたくないと思っています。改憲論をこういうのと同列にされると、かえって必要な改憲にとってマイナスだからです。

報道機関に求めたいこと

テレビの上記シーンを、テレビ局がどういう意図で報道したのかは私にはわかりません。
しかしながら、報道機関は憲法改正に関する話も報道しているのですから、報道機関は、上記エピソードを、ただおもしろおかしく取り上げるのではなく、せっかくこういう具体的なエピソードがあるわけですので、もし自民党改憲案が実行されると関係あるよな、といった想像力を働かせると、面白い番組になるんじゃないかなと思った次第です。