裁判所と弁護士の関係について、少し考えていました。
自分が理想とする「ぼくがかんがえたさいきょうのしほう」というのは、以下のとおりです。
①「相談係」がすべて司法試験合格者(つまり弁護士相当の能力をもつ)
②そこで受けた相談に対し「相談係」が結論を出し、必要と判断した案件については、「相談係」もしくは「訴訟係」(弁護士相当の能力を持つ)が適切な手続を選択のうえ、訴状等を書いて裁判官に提出
③訴訟・判決も自動的に行う
④執行も自動的に行う
ここまで無償もしくは今の印紙代程度のコストで済ませる
つまり、「弁護士の機能」も裁判所に取り込み、すべて「裁判所」で済ませてしまえるようにする、というものです。
証拠書類の収集等もすべて裁判所が職権でします。
こうすれば、弁護士なんて職業は必要ありませんし、利用者は弁護士費用を支払う必要などありません。
犯罪被害事件などで、これで弁護士費用を被害者が出すのは妥当でない、と思われるケースは多く、この「ぼくがかんがえた~」が妥当することが多いと思います。
しかし、問題がいくつかあります。
(1)まず、「弁護士相当の能力を持つ」人材確保と雇用に金と時間がかかることです。今はそれが「弁護士費用」として、利用者負担ということになっています。
つまり「ぼくがかんがえたさいきょうのしほう」は、この利用者負担をとりやめて、すべて国が税金で丸抱えする、という仕組であるともいえます。
(2)つぎに、濫用的な訴訟提起についても、税金丸抱えでよいのか、という問題があります。病院は病気という非人為的な事象を対象にしているから、利用者負担を減らしてでも、というのがあります(人命・健康・公衆衛生という公益性の分だけ国が負担しているともいえる)。
これに対して、弁護士が扱う対象事件は、人為的なものであることが多く、濫用的訴訟提起については完全に人為的な事象ですから、これを、国の負担とするだけの公益性があるのか、どこでフィルタリングするのかがはっきりしない。
以上の考え方に基づき、裁判所と弁護士の関係というのは、つまるところ、国家政策として、
A 国の負担とするだけの公益性の側面(コストの側面) と
B 利用者負担とするべき側面 とのバランスをどうとるのか
という問題に尽きるのではないか、と思います。
そして、今の日本では、裁判所を利用するのに、本人訴訟ではいろいろとハードルが高いところ、弁護士を利用するとなったとき、Bの側面を最重要視する政策を採っている、ということになります。
どちらが正しいかはわかりません。Aの政策だと、ものすごい税金を費消することになるでしょう。
もっとも、日本の裁判の仕組みの中で、たった一つだけAを採用しているものがあります。
それは「国選刑事弁護」「国選付添人制度」です。それ以外は全部Bです。
ただしこれらの報酬は、きわめて低廉に抑制されており(一説によるとフランスの3分の1程度とか)、弁護士にとってはボランティアに近いものとされています。
すなわち、弁護士が、弁護士としての矜持(プライド)もしくは個人的興味で維持されているのが実情です。ですが、これから先、弁護士の激増による営利主義へのさらなる傾斜が進めば、こうしたことにかかわる人材が確保できなくなることは、十分ありえると思います。
近年、刑事弁護に携わろう、という人が、若手から減っているとも聞きます。
刑事弁護には興味がなく、会社法分野やその他の分野のほうをみっちりやりたい、という修習生にはよく出会うようになりました。
そういう意味では、これらは、Aに属するとはいえども、弁護士側の負担でなんとか維持できているというものにすぎず、サスタナブルではないと思っています。
他方、個人的には、上記した、犯罪被害者側の事件については、Aをとるべきなのではないか、と思っています。
ただし、人材の継続的確保・弁護活動の質の向上という観点からは、Aをとるにしても、国選刑事弁護などで問題視される報酬の低廉性の問題などは、様々な制約はあるにせよ、政策的に、予算を増大させるなどの方法をとる必要はあると考えるところです。