荒会長の弁護士ドットコムのインタビュー記事が、一部法クラの間で話題になっています。
話題の理由は、「法テラス」。

1 荒会長の考え

荒会長は、日本弁護士連合会会長としての立場から、「権利擁護を業務に変える」ことをスローガンとしておられます。
論点となっているのは、その方法論だと思います。
この点について、荒会長は、こうおっしゃってます。
「法テラスの報酬基準を引き上げることは重要ですが、法テラスが苦しい状況に置かれた人のための制度である以上、まずは利用者の負担を軽減しなければなりません。」
「利用者の負担を軽減して、法テラスを利用しやすくするとともに、弁護士が適正な報酬を得られるような社会状況を作ることが、会長としての役割」

2 荒会長の考えから導き出される命題とは

ここから導き出される命題は
A 荒会長は、法テラスの報酬基準の引き上げの必要性はあると感じている
B しかし、利用者の負担軽減を「まずは」優先すべき
C そうしてから、報酬引き上げ の社会状況の醸成を図る
ということのようです。

3 上記命題に含まれる問題点

しかし、(別にも書きましたが)
Bを実行し、かつC(報酬引き上げ)を実行させるということは、「その負担はすべて法テラスに」という新たな問題を生じます。
荒会長としては、それを法テラスに飲ませるための方策として、Cの命題をあてがっているのであるならば、一応理解できます。
すると、そこでいう「社会状況の醸成」とは具体的になにか、が問題になります。ここからが大切で、かつ弁護士会が苦手な分野だと自分は思います。

4 「社会情勢の醸成」のための「負担」「忍従」

弁護士会のエスタブリッシュによる伝統的な考え方はこうでしょう。
①弁護士に毎月高額の会費(福岡は53,500円)を負担させる。
②それを原資に「公益活動」をする。
③それに加えて、弁護士には「公益活動」にともなう「低廉な報酬」を当面のあいだ忍従させる。
この方法論は、一見正しいように見えます。

5 「負担」「忍従」の結末

しかし、この方法論には大きな問題があります。
①③は、弁護士にとっての負担になることです。
かつ、これを、いつまで負担・忍従するのか、これまでの弁護士会は一切明記してきませんでした。上記1のスローガンが実現されるまで、ということでしょうか。
他方、「負担」「忍従」の実績はというと、一例になりますが、刑事弁護については、当番弁護を設けた結果といっていいのか不明ですが、被疑者国選の範囲拡大が、結果として残りました。
ただ、これが「負担」「忍従」をしないとダメなのか、といわれると、悩みます。
刑事弁護については国選報酬の問題も残っています。
民事法律扶助については、法テラスがご覧のとおりです。法テラスが発足して14年になりますが、「負担」「忍従」を14年やって何ら変わらないどころか、私の印象では、法テラスの官僚化・杓子定規化・横暴化は加速しているとの認識です。
もっぱら自分の認識に基づいていて恐縮ですが、「負担」「忍従」が上記Aの命題につながらないことだけは確かなようです。

6 「負担」「忍従」する意味があるか、他の方法はないのか

「負担」「忍従」は、弁護士が希少で、経済的に恵まれていた時代であればなんとか維持できたモデルなのでしょう。しかしながら、国税庁の統計を見る限り、もはや「負担」「忍従」を前提とするモデルは破綻していると言わざるを得ないと考えます。
ここからは「鶏と卵」でしょうが、そうなると、上記1でご紹介したように「権利擁護を業務に変える」というスローガンがもっともらしさを帯びてきます。
その方向性自体は正しいの「かもしれません」。
が、結局は、「誰が費用を負担するの?」の話であり、それは国しかあり得ないわけで、いかに国から金を引き出すかの方法論(上記4)の問題に収斂されるように思います。
そして、現在の方法論である「負担」「忍従」ができなくなった場合、「国から金を引き出す方法論」を失うのか、他の方策がないか、ということも、考えないといけないのではないかと思うのです。
もう手遅れかもしれませんが、日弁連、そして荒会長は、従来型の「負担」「忍従」を前提とした考え方を改めるべきだと私は思います。

7 結語

荒会長のスローガンに反発が起きるのは、現在の情勢を無視して、従来型の「負担」「忍従」を当然の前提にしている点にあるのではないでしょうか。