はじめに

弁護士法人東京ミネルヴァ法律事務所(以下「東京ミネルヴァLO」)が破産したとの報道が流れました。
その背景については、破産申立を行った東京第一弁護士会(以下「一弁」)からの詳しい説明を待つ必要がありますが、現時点でも多数の報道がなされており、その中から、これを他山の石として①弁護士が気をつけるべきこと②利用者が気をつけていただきたいことにそれぞれ分けて、以下詳述させていただきます。
(おことわり:本件投稿は、2020年6月26日付になされている報道記事を元に記載したものです)

弁護士が気をつけるべきこと

近年、「士業の広告」専門業者というのが非常に増加しているように思います。
士業の広告というのは、HPから駅広告からテレビCMから、様々な手段がありますが、そこに、「士業の経営コンサルティング」というところまで広げていくと、実にいろいろなことが行われます。
その極致として、こういうパターンがあります。

①顧客を紹介する、ということをちらつかせる
②子飼いの人間を送り込む
(場合によっては、事務局を構成する人物を複数送り込む)
その中に、やたら「顧客を連れてくる」人物が紛れ込む
これによって、事務局全体を掌握するという手も(こうなれば最強)
③好き勝手に仕事を処理される・金銭の出納を握られる
④広告料・コンサル料・子飼いの人間らの賃金など、さまざまな名目で、金銭が法律事務所から外部に恣に流出する
⑤気づいたときにはThe END

結局、弁護士資格のない者が、弁護士の「職印」を思いのままに使う、という構造が、ここに完成するのです。
現行の弁護士法の体系上、「弁護士資格のない者が、弁護士を雇ったり、弁護士と連携を取ったり、様々な形で弁護士との関係をもったとしても、当該弁護士資格のない者が直接に法律事務を取り扱う資格を得る、という法理は一切存在しない」のです。
そこで、こうした「士業の広告」専門業者の「極致」にあたるパターンとして、「法律事務所の内部に入り、形の上だけ弁護士の傘下にいて、実質は自分たちが好き勝手に弁護士の職印を使える状況にして、業務上も会計上も支配」するスキームが、厳然と存在しています。

特におそろしいのが、弁護士の「預り金に手を付けられる」というパターンです。上記④です。
ここでいう「子飼いの人間」たちが、賃金とか報酬とかいう名目で、預り金にまで手を付けるというパターン。
当然、彼らもアホじゃないので、預り金の出金について、それを管理する弁護士の了解があったという体裁を整えるはずです。
こうなると「弁護士による預り金の流用」という、本件スキームのコアとなるパーツが完成。
あとは、逃げ出す準備をするだけです。

残された弁護士は、業務や会計をろくに把握していないとすると(規模が大きすぎると把握できようもない)、もう手の打ちようがありません。

では弁護士はどこで気をつけるべきか。
結局、

ア 変な人を入れない
イ 目の届かないところで好き勝手させない
ウ 会計は少なくともしっかり理解しておく(事件は当然把握してねばならないが、最悪でも、という趣旨)

に尽きると思うのです。

そもそも、法律事務所というのは、様々な守秘情報を取り扱う現場なので、そこに、変な人をみだりに立ち入らせること自体が禁忌です。そこはもう嗅覚というしかなく、「いろいろなお客さんをつれてきてくれるから内部に招聘しよう」というのは、弁護士との力関係からいっても、弁護士が下風に立たされることになりかねないから、注意が必要だと思います。

  ←非弁関連の講義・講演でよく使うイラストから抜粋しました

利用者が注意すべきこと

非常に難しいのですが、外部から見てわかる範囲でいうと、このような点があった場合、注意が必要です。

ア 弁護士とほとんど話をする機会がない、連絡が取れない
イ 話している相手が弁護士なのか事務員なのかあいまい
ウ 事務員ばかりが内容を把握している
(これらの点からは、弁護士によるガバナンスがきいていないこと、場合によっては、事件を弁護士が監修していないことがうかがわれる)
エ 広告手法が派手・華美
(広告料に相当なカネを使っている、そうやって派手に集客しないと回らない財務構造、あるいは広告料自体で圧迫されている可能性がうかがわれる)

広告については、様々な方針があるため一概には言い難いですが、とくに、ア・イは非常に危険な兆候があると見て良いと思います。結局、事件を弁護士が処理していない疑いが強いからです。
どうしてそうなるかはいろいろな理由が考えられますが、①広告で大量に大規模に集客するも処理できていない、②弁護士が事務局に任せきりにしている(その事務員が誰かの子飼いで、事務所が実質的にその「誰か」に支配されている)など、といったことが考えられます。

これからの時代は、弁護士の選び方にも注意を、と言わなければならないのだとしたら、悲しい限りです。