1 自筆証書遺言の内容によるトラブルの経験

 弁護士という仕事をしていますと、自筆証書遺言を拝見する機会が多いです。それは、私以外の弁護士も同じだと思います。
しかし、その内容が遺言として意味をなさないものが非常に多いです(そのような経験が多いのも、弁護士であればわりとあることでしょう)。

2 意味をなさない遺言

 このような、「意味をなさない遺言」が、どうなるかというと、遺言者の意思が全然反映されなかったり、おそらくこう考えておられたのだろうけれど法的にそのように執行することができない、という結果をもたらします。
最悪の場合、相続人間で、たとえばA相続人は「この土地は遺言の対象になってないじゃないか」と主張し、B相続人は「いや遺言の対象になっている。私にくれると言ってるじゃないか」という対立を生じ、かえって紛争化の原因になってしまいます。
こういう場合、えてして混迷化し、紛争長期化します。
もったいないとしか言いようがないです。

3 遺言(に限らず法律文書)の本質

 そもそも、遺言(にかぎらず、法律文書はみなそうですが)は、コンピュータプログラムのごとく、書いた内容をそのまま忠実に執行するしかないのが基本です。
不正な書き方だと、執行ができなくなる点でも、コンピュータプログラムに似ています。

4 本年7月1日民法改正における「自筆証書遺言」の扱いに対する意見

 ところで、本年7月1日付民法改正の目玉の一つとして「自筆証書遺言の簡素化」が加えられました。
たしかに、改正後の自筆証書遺言では、物件目録について、登記簿そのまま編綴することも可能であり、物件の特定性を担保しやすくなったという点は評価できます。
本改正は、自筆証書遺言の推奨を目的にしているのでしょう。
 しかしながら、本文において「遺言としての意味をなさないもの」ということによるトラブルの解決策にはなっていないのです。
 したがいまして、上記法改正に対して「自筆証書遺言がやりやすくなりましたよー」という言い方は、一面では確かにその通りなのですけれど、同改正が、もともと自筆証書遺言がトラブルを起こしやすいものである、という根本的な問題への処方箋になっていないことからすると、やはり、従前どおり、同改正をきっかけに、自筆証書遺言を推奨するような風潮になっていることには、違和感があります。
 個人的には、自筆証書遺言に生じやすい過ちを踏まえずしてなされた改正であり、政策的に間違いだと思っています。

5 結語

 遺言には様々な方法があってよく、自分にあった方法を選択できるのが良いと思いますが、これだけは声を大にして言いたいのです。
「遺言はコンピュータプログラムと同じ。文言どおりに執行される。遺言方法の如何により「自分の意思通りに執行される」ことが担保されるわけではなく、その内容が、自分の意思と合致しているかは、別問題である」
ということです。
方法に惑わされることなく、内容がご自身の意思を反映しているかにご注意ください。